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地球の子供達

石はとても強い力を持った地球の子供たちです。病を治したり、人を虜にしたり、さまざまな効果を持ちます。その世界を少しだけ紹介いたします。
 

 

日本の神話の中には翡翠を身に纏った美しい姫君がいることを皆さんはご存知でしょうか?

日本でも有数の産地、新潟県糸魚川市周辺をその昔古志(越)と呼びました。

その地は古代翡翠を通じて大陸との貿易で栄えた豊かな国でした。

そこにはとても美しい一人の女王が君臨していたといわれています。

その美しい姫は美しい大きな翡翠の勾玉の首飾りを首から下げていたことから

翡翠姫と呼ばれていました。

名前をヌナカワヒメと申します。

彼女は日本でも有数の美女で、更に翡翠で得た莫大資金力がありました。

そんな彼女に求婚してくれる男など恐れ多くて誰もいませんでした。

そんな中、時の権力者となった同郷のオオアナモチ(大国主)より求愛されて、

彼にはスサノオの娘という正妻がありましたが、その想いを受け入れました。

そして何度かの妻問いの末、跡継ぎと目されたタケミナカタを生みます。

彼が大国主の跡目を継げば彼女はもっと有名になっていたかもしれません。

しかし残念ながら、彼は国譲りにおいてタケミカヅチノオノカミに敗れ、

信州は諏訪の国に押し込められてしまいました。

跡目を失った彼女は翡翠採掘の技術を高天原に渡したくないとその全てを封印し破棄したのではないでしょうか?

日本の翡翠がそのあと注目を集めたのは、なんと昭和の時代になってからなのです。

それが彼女の出来る母としての唯一の抵抗だったからなのではないかと私は想うのです。

翡翠の原石

翡翠はおよそ5億年前、地中深い場所で熱と圧力を受けて出来た一種の変成岩です。宝石と言う名に値する翡翠の取れる場所は世界で数箇所、その一つが日本の糸魚川地域で、鉱脈はなく、岩盤から離れて、流水などに押し流された岩石(転石)としてみつかっています。糸魚川の下流、翡翠海岸と呼ばれる糸魚川市の親不知海岸には、翡翠の原石が今でも流れつくそうです。翡翠には地殻変動も係わっているというのですから、なんとも壮大な話ではありませんか。

古代中国では翡翠は他の宝石より価格が高いとされ、生命の再生をもたらす力を持つと信じられています。古代においては遺体全体を玉で覆うことが行われ、秦の始皇帝の遺体も玉で覆われているとされています。中南米(インカ)の王族の墓でも同様の処置が確認されています。

日本から邪馬台国の女王卑弥呼の後継者、壱与が中国・魏の皇帝に献上した「青大句珠二枚」(魏志倭人伝)も翡翠の勾玉であったと言われています。

翡翠には硬玉と軟玉(ネフライト)がありますが、宝石とされる物は硬玉だけです。

翡翠の硬度は6から7。硬度こそダイヤモンドに劣りますが、壊れにくさでは上回ります。

そんな鉱物を縄文人はどのように加工したのでしょう。縄文人は5000年前に既に翡翠の存在を知り、装身具に利用していました(山梨県立考古博物館に日本最古の翡翠大珠があります)。勾玉などの装飾品が生まれるもっと前のことです。

また、糸魚川市の西を流れる姫川の河口から3キロほど内陸に入った所に長者ヶ原遺跡という所がありますが、縄文人はここで翡翠の玉や管などの特殊な加工技術を培ったようです。糸魚川の翡翠はやがて北海道・礼文島から九州・鹿児島まで広く運ばれるようになります。遠くは王族の装飾品として韓国にも運ばれたと資料にあります。

翡翠はやがて大珠といわれる形から玉。勾玉へ姿を変え縄文晩期から『く』字形や獣をかたどった勾玉がみつかりそして今見る形の勾玉が出現します。装飾のみでなく祭祀などに使われたようです。縄文、弥生、古墳と時代文化は変わっても、時の権力者は翡翠を重視し続けました。しかし古墳時代の末期、翡翠はその地位を失い、そして奈良時代に忽然と姿をけします。日本の宝石である翡翠が世の注目を集めたのは、昭和13年(1938年)になってからです。なんとも不思議な話です。

 

 

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